黒色エレジー
─嘉村磯多
Seibun Satow
「人間の運命問題は、一にかかって次のことにあるように思われる。すなわち、文化発達にとって、人間の破壊衝動および、自己破壊衝動に基づく、共同生活の障害を克服してしまうことが、はたしてうまくいくだろうか。またどの程度成功するだろうか」。
ジクムント・フロイト『文化への不満』
 今も昔も文士は気むずかしい。超俗的なようでありながら、稚気満々で他者による評価をえらく気にする。素顔はあられもなく俗っぽかったりするものだ。
 御厨貴は、書評「高橋正『西園寺公望と明治の文人たち』」において、こう書いているが、中でも、私小説家はそうした文士の典型だろう。かつて私小説家と言えば、精神の発達が未成熟だったり、その形成が歪んでいたりして、ぶつぶつと文句が多く、自分勝手で、社会性に乏しいものの、名誉欲や金銭欲、助平根性などは旺盛な俗物というのが相場というものである。何かと周囲とトラブルを起こし、おまけにそのことを小説にしてしまうとあって、親族にとっては迷惑千万な食み出し者であり、近所はひそひそと噂話をするか、あえて話題にしないかのいずれかで、伊藤整から「逃亡奴隷」と命名されたほどである。それは、「鎌倉武士」になぞらえた「鎌倉文士」が華やかりし頃の夢物語でもある。
 私小説家はろくに定職にもつかず、頭の中にあるのは、何をおいてもまず執筆のことであり、それ以外は二の次である。そこまでして書き上げても、たいした金にもならないどころか、出版社から断られるケースも少なくない。生活の足しにならない文学の前に、何でもいいから日銭を稼ぐようにしたらどうかと周囲にたしなめられても、時々自信を失うことはあっても、自分は書くために生まれてきたのだと神託を受けたかのような信念を決して譲ろうとはしない。私小説家は精神の発達が未熟であるとしても、文章自体が稚拙だというわけではない。彼らの紡ぎ出す作品は、多くの論者が指摘している通り、散文詩の一種であり、「知覚の扉」(オルダス・ハックスリー)を叩くが如くである。金も職もないが、将来の展望もありはしない。誰が見ても社会の落伍者であるけれども、それこそが芸術家の証である。立派な社会人よりも、どこか壊れたヒールの方が魅力に満ちているものだ。そんなこんなしている内に、たいていは商業的成功とは無縁のまま、生涯を閉じる。認められなかった才能や早すぎた天才などと呼ばれるのは恵まれていると見るべきであり、一部のカルトな人気を博すにとどまることの方が多い。
 しかし、「文士」自体が死語になった今、ブログを維持できるだけの余裕があり、その気さえあれば、私小説家になることは難しくない。私小説は、歴史的に、メディアの産業規模が拡大し、送信者と受信者の距離感が近くなると、隆盛を向かえるが、ブログの浸透は多くの私小説家をオンライン上に誕生させている。有名無名を問わず、無数の人々がブログを公表し、他のブログを閲覧している。業界の裏話や政財界の噂、時事的な話題への意見、趣味や娯楽への思い、行っちゃった精神の発露、とりとめのない日常的些事など多岐に渡る。内幕の暴露は、告白や私小説登場以前から、注目を集めるには格好の題材であり、諷刺や劇中劇として扱われている。出版産業の活性化による書くことの民主化に伴い、知的な思想を述べる告白や精神的成長を描く教養小説ではなく、日本で私小説が発展したとしても不思議ではない。もちろん、ブログにしても、何を記してもいいというわけではない。未成年なのに喫煙したとか飲酒運転をしたとか書いてしまえば、誰彼ともなく批難が書きこまれ、当局の取締りの対象となる。
 二〇〇〇年以降、ケータイ(携帯)小説が流行しているが、その内容と発展は私小説の歴史を同時代的に体験するいい機会である。書くという経験に乏しいものが文学作品を創作しようとすれば、自分の体験に基づく私小説が選ばれやすいものであろう。構成力は脆弱で、ほとんどが会話で占められ、物語は類型的であり、知識・教養も乏しく、表現方法は稚拙というのが大部分である。実際、出版化に至るのは──ある文芸批評家の例が示している通り、編集者たちに大きな見落としはつきものであるから、決めつけるべきではないけれども──、極めて少数にとどまっている。もっとも、それは読者に「これなら自分でも書ける」と思わせてくれる。表現者の裾野を広げるという点で、日本近代文学史上、私小説ほど貢献してきたものはない。作者が見慣れたマンガもしくはテレビ・ドラマ、アニメなどのネーム(マンガのセリフ部分)やシナリオに近く、その分、テレビ・ドラマ化は極めて容易である。このジャンルの成長には、通信の大容量化・高速化やパケット定額制などのインフラ整備と低額化が後押ししている。このように、ケータイ小説をめぐる変化・現状は、私小説勃興のヴァリエーションである。
 そのケータイ小説が描いているのは、同時代的に共有している問題と言うよりも、分断され、孤立化した主人公の吐露である。他人とは違う自分を語っているつもりだろうけれども、その自分が他の人とどのように異なっているかに触れていない。あるべき自画像に自分を押しこめようと躍起になっている。携帯電話の電子メールは、文字数の制約に言いたいことを収めなければならないので、そうした自己を表現するには適したメディアである。作者の認識に広がりを欠いているため、他人と違う自分とは感じられない。他人と違う自分を書こうとすればするほど、それは類型化する。けれども、その類型性により、読者はそこに自分と同じ人間を発見し、共感する。それは私小説の典型的な傾向である。こうした送り手と受け手の関係から私小説は型の文学だと言える。
 とは言うものの、『神前結婚』(一九三三)における次の記述が「私小説の極北」と賞賛された理由は、歴史を知らなければ、ブロガーにはもはや理解できないだろう。
 忽然私は自分の外に全世界に何物もまた何人も存在せぬもののような気がした。私は「日本一になった!」とか何んとか、そんなことを確かに叫んだと思うと、そのハガキを持ったままぐらぐらッと逆上して板の間の上に舞い倒れてしまった。後後は、野となれ山となれ、檜舞台を一度踏んだだけで、今ここで死んでも更に思い残すところは無いと思った。暫時の間、人事不省に陥ちたが、気がついて見ると、ユキも私の傍に崩れ倒れて、「ああ、うれしいうれしい」と、細い長い咽び入った声で泣き続けていた。
 この件は中央公論社から小説『途上』(一九三二)掲載の知らせを受け取ったときを作者が回想して記したものである。平野謙や伊藤整といった文芸批評家に衝撃を与え、彼に「私小説の極北」の称号を授与している。自己欺瞞や偽善、心理的倒錯、屈折した感情などを包み隠さず吐露するのが私小説の目指すべき理想であり、彼はそれをやってのけたというわけだ。
 しかしながら、置かれた立場との矛盾、社会や組織との葛藤、将来の見通しなどに悩んだ上で、作家は意を決してタブーを破るものだが、彼にはそうした覚悟がない。
 それは、子供に対する彼とその師匠である葛西善蔵の態度の違いからも明らかである。
 彼は、『崖の下』(一九二八)において、自分の子供を「侵入者」だと次のように排撃している。
 圭一郎は子供にきつくて優し味に欠けた日のことを端無くも思い返さないではいられなかった。彼は一面では全く子供と敵対の状態でもあった。幼少の時から偏皮頁な母の愛情の下に育ち不思議な呪いの中に互いに憎み合って来た、そうした母性愛を知らない圭一郎が丁年にも達しない時分に二歳年上の妻と有無なく結婚したのは、ただただ可愛がられたい、優しくして貰いたいの止み難い求愛の一念からだった。妻は、予期通り彼を嬰児のように庇い句力わってくれたのだが、しかし子供が此世に現れて来て妻の胸に抱かれて愛撫されるのを見た時、自分への籠は根こそぎ子供に奪い去られたことを知り、彼の寂しさは較ぶるものがなかった。圭一郎は恚って、この侵入者をそっと毒殺してしまおうとまで思い詰めたことも一度や二度ではなかった。
 父親となる自信がない、もしくは今の気ままな生活を続けたいために、生まれてくる子供を負担と考える夫はいるものだ。しかし、彼は父親あるいは大人としてその子を見ていない。それは、幼稚園に入った第一子が、第二子の誕生により、独占していた親の愛情を奪い返すために、固着・退行してしまう心情である。「ただただ可愛がられたい、優しくして貰いたいの止み難い求愛の一念」と告げているように、彼にとって、女性は母の代用にほかならない。
 一方、彼の師匠の葛西善蔵は父親として子供に接している。『子をつれて』や『哀しき父』などで、主人公は子供に愛情を示し、父親としての役割を果たそうとしているが、結局、甲斐性なしに終わる。その姿は、二〇〇二年にMTVで放映が始まった『オズボーンズ(The Osbournes)』のオジー・オズボーンに近いものを感じさせる。これはオズボーン一家の日常生活を中継する番組である。「ドラッグで身体がどうなるか、俺を見ててもわからないのか!?」とオジーは息子ジャックを諭している。
 彼は帳場に上り込んで「実は妻が田舎に病人が出来て帰ってるもんだから、二三日置いてもらいたい」と頼んだ。が、主人は、彼らの様子の尋常でなさそうなのを看て取って、暑中休暇で室も明いているだろうのに、空間がないと言ってきっぱりと断った。しかしもう時間は十時を過ぎていた。で彼は今夜一晩だけもと言って頼んでいると、それを先刻から傍に座って聴いていた彼の長女が、急に顔へ手を当ててシクシク泣き出し始めた。それには年老いた主人主婦も当惑して「それでは今晩一晩だけだったら都合しましょう」ということにきまったが、しかし彼の長女は泣きやまない。
 「ね、いいでしょう? それでは今晩だけここにおりますからね。明日別のところへ行きますからね、いいでしょう? 泣くんじゃありません……」
 しかし彼女は、ますますしゃくりあげた。
 「それではどうしても出たいの? よそへ行くの? もう遅いんですよ……」
 こう言うと、長女は初めて納得したようにうなずいた。
 で三人はまた、彼らの住んでいた街の方へと引き返すべく、十一時近くになって、電車に乗ったのであった。その辺の附近の安宿に行くほか、どこと言って指して行く知合いの家もないのであった。子供らは腰掛けへ座るなり互いの肩をもたせ合って、疲れた鼾を掻き始めた。
 湿っぽい夜更けの風の気持よく吹いて来る暗い濠端を、客の少い電車が、はやい速力ではしった。生存が出来なくなるぞ! こう言ったKの顔、警部の顔──しかし実際それがそれほど大したことなんだろうか?
 「……が、子供らまでも自分の巻添えにするということは?」
 そうだ! それは確かに怖ろしいことに違いない!
 が今はただ、彼の頭も身体も、彼の子供と同じように、休息を欲した。
(『子をつれて』)
 彼は子供を「侵入者」として見ているが、実は、その時、子供時代の自分の姿を思い浮かべている。妹が生まれたことにより、独占していた母を奪われてしまった経験が彼にはある。その彼は、小説や書簡などで父には敬愛の念を示しているのに対し、母へは憎悪や軽蔑を一貫して記している。幼い子供が弟妹にこうした嫉妬を覚えるのは決して珍しいことではない。また、最も希求する母を反転して憎むようになることもよくある。ただ、彼は妹の存在を疎ましく思ってはおらず、母のみに気を向けている。妹が誕生する前の母を取り戻そうと女性を追い求めているのであり、自分の子供であっても、それあの妹と同じ「侵入者」にすぎない。
 彼は拒まれた理由を色の黒さに求めて、『途上』の中で、八、九歳の頃の記憶を次のように回想している。
 その場の母の姿に醜悪なものを感じてか父は眉をひそめ、土瓶の下を焚きつけていた赤い襷がけの下女と母の色の黒いことを軽蔑の口調で囁き合った。妹に乳をくくませ乍ら破子の弁当箱のそこを箸で突っついていた母が、今度は私の色の黒いことを出し抜けに言った。下女が善意に私を庇うて一言何か口を挟むと母が顔を曇らせぷりぷり怒って、「いいや、あの子は、産れ落ちるときから色が黒かったい。あれを見なんせ、顎のまわりと来ちゃ、まるっきり墨を流したようなもん。日に焼けたんでも、垢でもなうて、素地から黒いんや」となさけ容赦もなく言い放った。その時の、魂の上に落ちた陰翳を私は何時までも拭うことが出来ない。私は家のものに隠れて手拭につつんだ小糠で顔をこすり出した。下女の美顔水を盗んで顔にすりこんだ.。
 母は自分を捨て、妹を選んだが、色が黒いからだと彼は感じている。しかし、その黒さは母譲りであり、母自身も黒いと陰口を叩かれている。彼は拒まれた自分に劣等感を抱くと同時に、自分もそうなくせにと母も忌避することになる。彼が望む女性は色の白い母である。母は自分を黒いと蔑んだが、彼も母を同じ理由ではねつけていく。彼にとって、黒さは不仕合わせの元凶である。そのため、「人間の仕合せは色の白いことに以上にない」(『途上』)と信じるに至る。
 黒さへの忌々しさはその後も事あるごとに思い起こされ、反復される。
 彼は、『途上』の中で、成長してからも、同じ怯えにとりつかれていたと次のように書いている。
 行くうち不図、この霜降りのインバネスを初めて着たおり編集長に「君は色が黒いから似合わないね」と言われて冷やッとした時の記憶が頭に蘇生った。と思うと直に、先月或雑誌で私を批評して、ニグロが仏欄西人の中に混ったような、と嘲笑してあった文字と思い合された。幼年、少年、青年の各時代を通じて免かれなかった色の黒いひけ目が思いがけぬ流転の後の現在にまで尾を曳くかと淡い驚嘆が感じられた。今日に至った己が長年月のあいだに一体何んの変化があったであろう? 禍も悩みも昔と更に選ぶところない一ト色である。思想の進歩、道徳の進歩──何にも無い。みんな子供頃と同じではないか──。と又しても今更のような驚嘆を以て、きょろきょろ自分を見廻しながら電車通りへ歩いて行った。
 色の黒さは、彼にとって、ジクムント・フロイトの「反復強迫」となっている。彼は苦しみの源泉であるにもかかわらず、それを繰り返す。それはすべてを根源的な無の状態へと戻そうとする涅槃原則である。色の黒さの想起は彼をニルヴァーナへ誘うが、この反復によって自らの生命を引き延ばしてもいる。快感原則が働かない場合、あるいは十分ではない場合、それに代わり、涅槃原則が動き出し、衝動を揺り動かす。衝動は絶対値として作用し、零度からどれだけ離れているかが重要である。望ましかろうと、疎ましかろうと、自分の存在にかかわったより大きな何ものかに触れることで、自己を確認できるからだ。遠い記憶であればあるほど、もしくは深刻であればあるほどよい。死は生においてチャイニーズ・ボックスであるが、箱の存在そのものではなく、開けるという行為が涅槃原則である。本来、いかに開けるかを問うべきであるけれども、反復強迫はその開閉自体にとりつかれた状態であろう。彼にとって傷となっているのは拒まれたという思いであり、色の黒さはそれを思い起こさせるきっかけである。「みんな子供の頃と同じ」は反復強迫に囚われた彼を最もよく表わしている。それは彼の私小説を「黒色エレジー」と命名できるようなものにさせてしまう。
愛は愛とてなんになる 男一郎まこととて
幸子の幸はどこにある 男一郎ままよとて
昭和四年は春もよい 桜ふぶけば蝶も舞う
寂しかったわどうしたの お母様の夢見たね
お布団もひとつほしいよね いえいえこうして
いられたら
あなたの口からさよならは いえないこととおもってた
はだか電灯舞踏会 踊りし日々は走馬灯
幸子の幸はどこにある
愛は愛とてなんになる 男一郎まこととて
幸子の幸はどこにある 男一郎ままよとて
幸子と一郎の物語 お涙頂戴ありがとう
(あがた森魚『赤色エレジー』)
 私小説への要求は、日本の読者層には、依然として根強い。私小説は社会的・歴史的変化によって生まれたのであり、当然、それが変われば変容せざるを得ない。現代社会において、従来の財産権から派生した基本的人権に、人格権が加えられるようになっている。それは人の人格価値の発現形態を侵害から法的に保護される権利であり、名誉権や肖像権、氏名権、プライバシー権、著作者人格権などが含まれる。伝統的な表現の自由は人格権としばしば衝突する。人格権が浸透しつつある今日、私小説を書く行為は困難であるどころか、時には卑劣でさえある。
 作家は、表現の自由を主張し、人格権侵害の訴えに腹を立て、自らの執筆活動を正当化しようとする。しかしながら、それは扱う対象が公人であって認められる主張である。
 人は法的・社会的・時代的網の目に置かれているのであり、社会性はそうした関連性を見出せる経験・能力である。いかなる影響が法的・社会的に及ばされるのかということに文学者は一般に鈍感だと言える。作家には、リテラシーとコミュニケーションの能力が最も重要であるにもかかわらず、それが脆弱である。
 出版の自由はジョン・ピーター・ゼンガーの訴訟がきっかけとして成立している。ゼンガーは、『ニューヨーク・ウィークリー・ジャーナル』紙に、ニューヨークの総督ウィリアム・コスビーに対する批判記事を掲載したため、その真偽と名誉毀損をめぐって訴えられたものの、一七三五年、横暴な権力に抵抗するのは当然の権利であるとして無罪となっている。出版の自由はこの植民地アメリカでの判決に基づいて認められていく。
 名誉毀損において、発言の公共性・目的の公益性・内容の真実性を争点となるが、反論の機会が与えられているか否かもその成立の条件となる。言論の場合、真実に足る相当の理由があるという程度で構わない。かりに内閣総理大臣に対して「裸の王様」と批判する記事を夕刊紙が書いたとしても、反論の機会はいくらでもある以上、名誉毀損には当たらない。民事と刑事では、むろん、若干事情が異なる。
 しかも、1.6km先から望遠レンズでパパラッチに盗み撮りされるセレブと違い、作家は出版社によって守られている。週刊誌などで作家のスキャンダルやゴシップが報じられることは稀である。執筆や出版を考慮して、出版社がそれらを自粛しているからである。過去には、「こんな記事を載せるのであれば、おたくにはもう書かない」と抗議した作家も実際にいたものである。作家本人だけでなく遺族が実証的な文学研究に非常識なけちをつけることさえある。対象が公人ではなく、私人である場合、作家と非対称な関係に置かれてしまう。そこに専ら公益性があると認められることは少ないだろう。
 なお、日本では、著作権と著作者人格権は別の権利として法体系に位置づけられている。前者は財産権、後者は、上述の通り、人格権に属する。作家はもちろんのこと、出版社にも著作権と著作者人格権の区別がついていなかったり、著作権をわかっていても、著作者人格権が何たるかを理解していなかったりするケースは決して稀ではない。
 八〇年代位までは、作家のスキャンダルやゴシップも報道されている。と同時に、金をたかったり、貶めてやろうと近寄ってきたりする輩に悩まされながら、筆をとり続けた作家の話も同情を呼んだものである。
 けれども、文壇内でお互いに作品の中で触れ合う時代はもう過ぎ去っている。それは、むしろ、セレブをめぐるあけすけな暴露本の方に残っている。作家は他の作家とかかわり合いになることを避ける傾向がある。厳しい批評にさらさればいと、文学的知識・認識・技術が継承されにくく、個々の作家も向上するのは難しい。かつての文壇は、問題点がありながらも、作家にとって学びの場として機能している。文学は協同作業を通じて発展してきたのであって、現代的なあり方を前提としつつ、それを見直すのは決して無駄ではない。
 もっとも、たいていは作家になるのが精一杯で、第一作以上の作品を書けずに、付け焼刃を改善しないまま、同じことを繰り返すだけに終わる。本質的・体系的な知識や教養に欠けるものの、別に作家にならなくても、ゼネコンの営業マンだろうと、ITC企業の起業家だろうと、国家公務員だろうと、外資系金融機関のトレーダーだろうと成功したに違いない要領がよく、抜け目のない者が次々とデビューしていく。その反面、奇抜なライフ・スタイルや病的なパーソナリティを売り物にする作家が登場したとしても、当然の成り行きである。社会性と計算高さは、必ずしも、比例しないものである。テレビ界でも、元プレイメイトであり、見る影もなく肥え太ったアナ・ニコール・スミスが実際にダイエットしていく過程を放映した『アナ・ニコール・ショウ(The Anna Nicole Show)』が当たるなど世界的に出演者が身体をはった番組がお茶の間を席巻している。それは、概して、社会現象の一つとして考察の対象となるとしても、文学のジャンク・フードであり、カロリーは高いが、栄養価は低くという代物である。まあ、それがないというのも、禁酒法的で、味気ないに違いない。
 言うまでもなく、今の生ぬるい保護下にある作家にできるかどうかは別にして、「法律が何だ?誰に何と言われようと、自分の信じる芸術を表現する!」と確信を持って、泥沼の訴訟を覚悟し、メディアの自粛を断り、好奇の目にさらされても、自らの信念を貫き通すのも文学者としてとりうる姿勢ではある。
 私小説は日本文学にとっての涅槃原則として登場し続けている。その私小説において実生活は口実であって、最も重要なのは文体である。作品のリアリティを実生活で補うと見下されがちであるが、それを記す文体に工夫がなければ、リアリティは獲得できない。私小説は舞台が狭いだけに、作者が意識していたかどうかはともかく、技法を生かすには格好のジャンルである。私小説は知覚の冒険を体現している。当時を知るための史料として読むこともあるが、型にはまり、類型的な作品も多いとしても、その方法には興味深いものが少なくない。
 私小説は日常生活を扱っている点において、むしろ、困難である。と言うのも、読者自身もまさに日常を体験しているからである。日常生活を舞台にしたとしても、法的・社会的・時代的な網の目の中にある以上、そこから社会的諸問題を顕在化させることは可能である。人は、同じ地域であっても、その背景や志向の違いにより、異なった地図を認識している。警察官の把握した地理と不動産業者のそれとは同一ではないだろう。そうしたバイアスは読者にとって新鮮であり、そういった作品こそ待ち望まれている。ところが、多くの小説家が、社会性が貧弱なために、リテラシーとコミュニケーションが十分でないために、書き分けを今でもできていない。自分の経験してきたことに固着し、思いこみに囚われて、作品の方法が見逃されてしまう危険性が少なくない。文学作品を自分の体験と関連させて読むこと自体が偏向的行為というわけではない。しかし、所有してきた経験の枠内だけで作品を認識するのはあまりにも自己絶対的であろう。私小説を読む際には、その小説家自身が自己に没入しすぎていたとしても、シナリオを渡された俳優のように、自らの偏見を自覚し、自己批評を行う必要がある。
 自己批評という点では、彼ほど欠如している作家も珍しい。精神的に未熟であるため、彼にはリテラシー・コミュニケーションの能力が著しく不足している。春原千秋が分析しているように、病的とさえ見受けられる。ある出来事の因果関係の説明に際して、あまり必然性が認められない事柄を関連させ、唐突で筋の通らない図式を持ち出し、意味ありげにまるで世界が陰謀に満ちているかのように語る。彼は色の黒さを拒まれる理由として辿り着きながらも、本来、そういう価値観に左右されないものからでさえ拒絶されていると感じている。
 彼は、『風の吹く日』(一九三三)の中で、風景について次のように感じている。
 去年の秋の二科の折に見た、鍋井氏の滝の絵も忘るることが出来ぬ。私の村には滝は二つあるが、鍋井氏の絵よりも陰気で、グロテスキュである。夏は滝壺から幾尾もの鰻が頭を揃えて滝の面に這い上がったり、傍の岩窟には馬頭観音が示己ってあったりして、気味が悪い。私は年々ああいう怪奇な風景が嫌いになって行く。この頃は風景でも、のんびりした、平凡な、それでいて艶のあるようなものの方が好ましい。
 私の村の隣村には、有名な長門峽がある。最近は耶麻渓をもしのぐ天下の名勝地に数えられている。私は青年時代には屡々そこへ遊びに行ったが、しかし今は、ああした壮大とか雄大とかいうべき、激しい水勢、高く尖った山、みんな冷酷なような気がして来た。思うだに慄然とする。あんな自然は、神経の衰弱を増すばかりか、人間の肉体にまで病気を起させる。
 風景から拒絶されているかの如く彼は記している。けれども、実際には、風景を擬人化している彼の方が拒んでいる。拒むこと=拒まれることは、彼にとって、同じである。拒絶を絶対値として捉えている。
 彼は、小尾範治がバルーフ・スピノザについて「彼は全く無私無欲であった」と述べたのに対して、一九二二年七月の安倍能成宛書簡の中で、次のように反論している。
 けれどもヴリースが与えようとした生活の資金を拒む心も一個の「慾」ではないでしょうか。自分の生活を世間的覊絆から離脱させようが為に、孤独がほしいその「慾」のために拒んだとすれば、やはりそこに対他的な「慾」があるとしか言えない。拒む心は勿論「慾」からなれど、拒む心も又偉大な「慾」ではないでしょうか。しかれば、無私無欲は誇張の文学にあらずや? 孤独でありたいと言うことも、主観の上から、人格の上から言えば横着な欲望ではありますまいか──と、ランプの下で、書を開き乍ら思いました。
 スピノザの願いはプライバシーを守りたいということであろう。サミュエル・ウォーレン(Samuel Warren)とルイス・D・ブランダイス(Louis D. Brandeis)は、一八九〇年、「放置される権利(The right to be let alone)」を提唱し、古典的プライバシー権として知られている、私小説はまさにこの権利の尊重という問題に直面している。また、酒癖の悪い上司から「おれの酒が飲めんのか?」とからまれたり、後輩をいびることしか能のない先輩から「新入生は一気だ!」と無理強いされたりする酒の席での光景にうんざりしている人にとっては、彼の意見に同意はできないだろう。
 彼には、そうした社会的問いかけは眼中にない。彼にとって、正であれ、負であれ、「慾」は絶対値として理解されている。対他関係の作用を絶対値として把握するのは彼の特徴であるが、それは原因と結果の取り違えから生じている。原因と見なしていることが本当は結果である。彼は原因と結果を可逆的に同一視するため、作用を絶対値として把握してしまう。
 彼は、『七月二十二日の夜』(一九三二)において、拒まれなければ、自ら拒絶しなければならないという心理の反転を次のように記している。
 神楽坂の夜は今が人の出盛りであつた。いとけない児は手をひかれて立ち、年老いた人は杖にすがって歩いていた。私共は両側の夜店の、青々とした水を孕んだ植木、草花の鉢、金魚屋などの前で足を止めたりして坂を上った。肴町の交叉点近くの刃物店「菊秀」の前まで戻ると、疾から散歩の度毎に覗いて、欲しくて欲しくて堪らなく思っていたナイフを、今夜もまた見ようと思って明るい飾窓に近づいた。
「あのナイフですよ。僕が欲しがっているのは!」と、私はユキに人さし指で差して言った。
「お買いなさいましよ。三円五十銭?……いいじゃありませんか。思ひ切ってお買いなさいよ。買いそびれたらなかなか買えませんよ」
 ユキの応援にまだ躊躇していると、前垂れがけの小僧が、へえ、どれですか、と寄って来たのに誘はれて到頭私は店の中に這入ってしまい、あれこれ手に取り上げて鑑定したが、結局、予め気に入っていた品にした。私は大そう満足であった。この一挺のナイフを守り刀にして魔を払うて行こうといったような至極子供らしい考えに興奮して、大急ぎで家に帰った。
 私が思いがけなく買物をしたのでユキも喜んでくれてそわそわしていた。鞘には三つのボタンがついていて、安全弁を左に廻して置いて一つを押せば長い方、一つを押せば短い方、一つを押せば爪切りが跳ね起きる仕掛になっておるのを、私は代る代るボタンを押してはパチンパチンと跳ね起したり、折り畳んだりしていたが、突如、
「どうも、こいつは、狂いが来そうだな」
 そう言って私は顔を曇らせた。あれだけ欲しく思っていたものをやっと手に入れれば入れたで、直ぐ自分からケチをつけ出した不仕合せが恨めしかった。私は机の上にはふり投げたり、未練げに手に取ったりして暫らくの間苛々していたが、
「やっぱし、五円五十銭といったアハビ張りの方が簡単に出来ていていい。あの方にすればよかった。失敗した!」と、私は絶望的に言った。
「じゃ、アト二円足せばいいんですね。それではわたしが買いかえて来ましょう。あなたのことだから、そう言い出したら、夜っぴて眠らないんですからね。わたしまで眠られやしない。……取っ替えて来て今度はイヤとは言いませんね。よろしいですか?」
 心配して着物も着替えず側に寄り添っていたユキは、斯う念を押してナイフを蝦蟇口の中に入れ急ぎ勝手もとの下駄をつっかけたが、振り返って、「ほんとに五円五十銭も出せば、夏羽織だって古着なら相当のものがあるじゃありませんか。明日の会だって、あんな染め直しのよれよれを着て行って、あなたはそれでよくっても女の恥になりますよ。羽織を買おうと言えば呶鳴り散らしたりして、近頃ほんとにあなたは病気ですね」と言い捨てて出て行ったが、ものの三十分も経ったと思うと、顔じゅうに汗の粒を浮べぜいぜい息を切らして帰って来て、ナイフを手に握ったまま自慢そうに講釈を始めた。
「これは、ヘンケルと言って、ドイツの会社でも一番有名だって、そう主人が言いましたの」
「さうか、ヘンケル……なるほど」と、私はほくほくして言った。
「先刻のはハーデルと言うんですって。でも、ハーデルよかヘンケルのほうが一枚上だそうですよ。この上の品は菊秀にはないのですって」と、ユキはいよいよ調子づいた。
「さうか、ハーデル……あなたも感心によく覚えて来ましたね、お利口さん、どれ、かしてごらん」
 私は小づくり乍ら頑丈に出来たヘンケル製とかを手の腹に乗せ首を傾げて重量を計って見た。それから爪で中身を起したり、息で白く曇るのを袖で拭いたりして、ユキの鼻先に突きつけて揮り廻した。
「こうれ、おれの言うことを聞かんと、これだぞ」
「おお、怖い……」ユキは大袈裟に笑った。
 軈てユキは私に言いつかってナイフを入れる袋をこさえるため、押入に頭を突っ込んで古葛籠の中を掻きまわしていたが、厚板の小切れを取り出して、火熨斗をかけたりしている間、私は彼女の傍に仰向けに寝そべって、猶、ナイフをつまぐり、刃先を飽かず眺めていた。
 暫らく沈黙がつづいた。
「あなたのことですから、物を大事にする人ですから、一生涯持っていらっしゃるでしょうね」
 きゅうきゅう縫糸を爪でこきながら、洟をすすってユキは何気なく、そんなことを言った。
「うん……」
 私は軽く頷いたが、途端、今までの喜び全部が、暗い淵の底に石でも抛ったようにドブンと音を立てて沈んで行った心地がした。
 ユキに促されて買ったものの、やはり高い方がよかったと眠れないほど欲しかっていたにもかかわらず、入手した途端、執着は消えてしまい、後悔さえ生じてしまう。しかも、その金があれば、師匠の三回忌に妻が着ていくのにふさわしい着物を用意できることは気にもとめていない。「近頃ほんとにあなたは病気ですね」とユキも彼の精神状態が均衡を失っているのではないかと疑っている。もっとも、映画『氷の微笑(Basic Instinct)』のキャサリン・トラメルと比べれば、「子供っぽいところがあってかわいい」と言えるかもしれない。シャロン・ストーンを有名にしたこの悪女は、愛を求めているのに、それが手に入りそうになると、怖くなり、相手をアイス・ピックで刺し殺してしまうからである。
 これはこのナイフのような無機物に限らない。彼は、女性に対しても、同様の反応を示している。「ただただ可愛がられたい、優しくして貰いたいの止み難い求愛の一念」を持って女性に接しながらも、しばらくすると、拒む。彼は関係した女性を不幸にしたと思うだけでなく、今も彼に未練があると信じている。元の妻に対し、「いとしい静子よ、お前の永遠の良人は僕なのだから」、「真っ先に思われるものは私の妻として、現在同棲の女でなく、初恋の雪子でなく、久離切って切れない静子なのであるから」と確信し、「失敗しないよう陰ながら贔屓に思って念じているに違いないのだ」と『途上』に書いている。それでいて、他の箇所で、別の女性にも同様の気持ちを持っていることを吐露している。本人は本気かもしれないが、おめでたいと言えば、まさにその通りで、シリアスにコメディを演じているレスリー・ニールセンを見ているように、滑稽以外の何ものでもない。それは、太田静一が調査した彼女たちのその後を見るまでもない。別れた男のことをだらだらと尾を引くようでは、こんな幼稚な作家とつきあっていけたわけもない。
 彼は、その代表作『業苦』(一九二八)にちなんで、「業苦の人」と呼ばれている。けれども、それは現実的な対応物を持っていない。概して、私小説は、分断された私が主人公であるため、想念が外界と直結していない。しかし、彼の場合、それが顕著である。彼は後ろめたく、屈折し、いじいじと生き、世間や周囲に対し罪悪感を抱いているけれども、その想念は他者を排除して生まれているにすぎない。対応しそうになると、彼は身をかわしてしまう。確かに、外的な対応物の登場が彼の思考には口実として不可欠である。彼は、どこにいようとも、安堵感を覚えることができず、彼は自分を断罪する。しかし、その苦しみにおいて彼はアイデンティティを確認できる。そうした反復強迫のために、「後知恵バイアス(Hindsight Bias)」に頼る。それは「コントロール・バイアス(Control Bias)」の対となる概念であり、実際の結果という知恵を得た後に、過去にしていた予測を思い返すと、その事態が起きる予兆や予感があったと納得する先入観である。偶然の帰結であるにもかかわらず、その前触れを正しく読み取らなかった自分を責める。
 中野良夫や柄谷行人が指摘しているように、彼に原罪や十字架、一切皆苦といった宗教的な概念をわかっていない。宗教的理解はともかく、彼が信仰としてキリスト教や親鸞に接近したことは認められる。けれども、宗教は苦しみによるアイデンティティの確かめを強化するものでしかない。また、福田恆存は彼が宗教も科学も同じという意見を持っていたと指摘している。科学は決定論を批判し、多様性を明らかにしてきた歴史がある、仮定を変えれば、おのずと違う結果が導き出されるのが科学というものである。しかし、必然的法則性に目を奪われ、科学を新たな決定論として捉えている。彼にとって、科学も、宗教同様、後知恵バイアスにすぎない。
 彼にはやることなすことに後知恵バイアスがかかっている。その挙げ句、「八方塞り」に陥ってしまう。
 圭一郎は、父にも、妹にも、誰に対しても告白のできぬ多くの懺悔を、痛みを忍んで我とわが心の底に迫って行った。
 結局、故郷への手紙は思わせぶりな空疎な文字の羅列に過ぎなかった。けれどもいっこくな我儘者の圭一郎にかしずいてさぞさぞ気苦労の多いことであろうとの慰めの言葉を一言千登世あてに書き送ってもらいたいということだけはいつものようにくとく、二伸としてまで書き加えた。
 圭一郎が父に要求する千登世へのいたわりの手紙は彼が請い求めるまでもなくこれまで一度ならず二度も三度も父はよこしたのであった。父は最初から二人を別れさせようとする意思は微塵も見せなかった。別れさしたところで今さらおめおめ村に帰って自家の閾がまたげる圭一郎でもあるまいし、同時にまた千登世に対して犯したわが子の罪を父は十分感じていることも否めなかった。鼎の湯のように沸き立つ口宜しい近郷近在の評判やとりどりの沙汰に父は面目ながってしばらくは一室に幽閉していていたらしいがその間もしばしば便りを送って来た。さまざまの愚痴もならべられてあるにしても、どうか二人が仲よく暮らしてくれとかお互いに身体さえ大切にして長生きしていればいつか再会がかなうだろうとか、その時はつもる話をしようとか書いてあった。そしてきまったように「何もインネンインガとあきらめおり候」として終りが結んであった。時には思いがけなく隣村の郵便局の消印で為替が封入してあることもたびたびだった。村の郵便局からでは顔馴染の局員の手前を恥じて、杖に縋りながら二里の峻坂をよじて汗を拭き拭き峠を越えた父の姿が髣髴して、圭一郎は極度の昂奮から自殺してしまいたいほどみずからを責めた。
 圭一郎は何処に向かおうと八方塞りの気持を感じた。心に在るものはただ身動きの出来ない呪縛のみである。
(『業苦』)
 彼は、強迫観念に囚われているかのように、繰り返し不幸を探し、苦しむことで自己を確認する。彼は何かから解放された時ではなく、自らを閉じ込め、もがき苦しむ時にアイデンティティを実感できる。考える私ではなく、苦しむ私が存在根拠となっている。万難を排するどころか、むしろ、それを求めている。「私に揺曳する幸福に対する不可能性の影」(『秋立つ日まで』)を覚えた瞬間にこそ、自己の存在を確信する。
 「黒色エレジー」たる彼の作品における文体の冒険は、こうした反復強迫によるアイデンティティの確認を繰り返している。反復強迫や涅槃原則、後知恵バイアスを書きえた作家もいない。各種の書簡は、彼が宗教でも哲学でもなく、書く行為に救いを見出していたことを次げている。それは、彼には、涅槃快感に委ねることにほかならない。彼の文体は重苦しく、その重さにより自ら押し潰されそうだ。自らを拘束し、もがくことでしか主人公は自己を実感できない。自縄自縛の文学である。彼は私小説家の一人であるが、その苦悶は個人的であり、他の作家と同時代的な問題をあまり共有していない。近代において、解放は重要なテーマの一つである。しかし、彼の作品は閉鎖を扱っている。それは封建制に取り残された私ではなく、社会から切断されていく私である。
 彼は、『「上ケ山」の里』(一九三一)において、「私は都会で死にたくない。異郷の土にこの骨を埋めてはならない。それは私の衷心の願である。あのお地蔵さんのそばへ埋まる日を思うて、このこころ躍る!」と記していたが、一九三三年、東京で三六歳の障害を閉じている。それは、日本が満州国をめぐるリットン調査団による対日勧告案に不満を表明し、国際連盟から脱退した年である。彼が自分自身を記そうとするほど、分断され、孤立化した私の類型的な姿が浮き上がる。個人にとどまらず、組織や国家も陥る状況である、その意味で、彼は確かに「私小説の極北」の名に依然として値する。
私の名は朝子です。歳は十八、身長は百六十三センチです。自分では綺麗な方だと想っています。髪の毛は、今、短いですが、ぢき長くなると想います。お酒はまだあまりのめませんが、ブルースとタンゴくらいは踊れます。
今宵限りのダンスホール
あなたのリードでステップ踏めば
お別れするのに夜会服が
何とか明日もくるくると
おいらメトロのつむじ風
ソフトハットをなびかせて
シベリアケーキにお茶でも飲んで
銀座のキネマに行きたいな
踊ろうか
踊りましょう
せめて今宵限りでも
あなたなんだかおセンチね
もうすぐ外地へお出ましね
私も最后のパーマネント
この髪を乱して踊りたい
踊ろうか
踊りましょう
せめて今宵限りでも
今宵限りのダンスホール
扉閉ざせば後知れぬ
今風立ちぬいざ行かん
明日は異邦のつむじ風
踊ろうか
踊りましょう
どうせ今宵限りじゃない
(あがた森魚=緑摩子『最后のダンスステップ(昭和柔侠伝の唄)』)
〈了〉
参考文献
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伊藤整他編、『文士の筆跡』2、二玄社、一九六八年 
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太田静一、『嘉村礒多−その生涯と文学』、弥生書房、一九七一年
吉本隆明、『吉本隆明歳時記』、日本エディタースクール出版部、一九七八年
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春原千秋、『精神医学からみた現代作家』、毎日新聞社、一九七九年 
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菊池聡、『超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ』、講談社ブルーバックス、一九九八年
斉藤博=作花文雄=吉田大輔、『現代社会と著作権』、放送大学教育振興会、二〇〇二年
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『日本文学全集』31、集英社、一九六九年 
『日本の文学』33、中央公論社、一九七〇年
『現代日本文学大系』49、筑摩書房、一九七三年
『昭和文学全集』7、小学館、一九八九.年